心にゆとりを

自慢になってしまいますが僕は優良ドライバーです。

ゴールドホルダーです。

常日頃から道路交通法の不完全さと取締りの厭らしさを不服に思いつつも順じている愚かでひ弱な一町民です。

そんな優良ドライバーの僕は運転中に周りを気にしてよくキョロキョロしているものです。
前を走っているのが誰かとか対向車が誰かとか、いつも誰かを探しています。

危険運転だ、などと言いがかりをつける同乗者もたまにいますが、まぁ青色のやっかみだと聞き流しています。

そんな優良ドライバーの僕は200m位先の交差点で右折待ちをしている車を優先させようなどと考えたりしました。
僕はそこを左折しようと思っていたのです。
後続車がない状態でしたのでそのまま走行していけば僕が左折し対向車が右折して僕の後ろに付いてくるような状態になることが想定できました。

それはいけない。

なんとしてもあの車を先に行かせてあげよう。
待ちぼうけしている彼を救ってあげねば。
そう思い、減速し何としても対向車を先に右折させようと努力しました。

ゆとりです。

結果、黄信号に変わり僕は停車して、対向車は右折信号で何の問題も抵抗もなく右折して走り去って行きました。
僕の気遣いに気付きもせず。

あの白と黒のツートンカラーだけは先に行かせなければいけません。

処世術です。
いや、ゆとりです。

その後、僕は穏やかに目的地に到着しました。

それが1週間くらい前の事でした。

今日、お昼過ぎ位に事務所に来訪者がありました。

一人目は飛び込みの営業です。
二人目はオジサンです。

両名共に僕が対応しましたが、二人目のオジサンは僕が返事をするやいなや突然手に持った黒い手帖をチラつかせたのです。
一瞬だけ開いた手帖の中から鋭い輝きを見せたエンブレムの反射は正に権力という威厳を放っていました。
そこで僕が萎縮したのは言うまでもありませんが、それは誰であっても同じだったと思います。
対応したのが代表であったとしても佐藤女史であったとしてもきっと震え上がったに違いありません。

でも、僕はすぐに気を取り直しました。
何しろ心当たりがない。
先日、右折車を譲る際に道交法違反をしただろうかと逡巡しましたが、それでもやっぱり心当たりがありません。
なので何も臆すことはない、と堂々たる対応をするゆとりが持てました。

あのエンブレムが放った反射光と対峙する勇気が湧いてきたのです。

オジサンと相対して僅か2秒くらいの間に頭の中を相当数の架空の駆引きが駆け抜けて行きました。
どんな問いかけにも対応する準備が整うよりも前にオジサンが問いました。

今の男は何者ですか?
と。

む?

オジサンは事情を話し始めました。

一人目の来訪者を尾行していたことを。
その男が挙動不審であったためある捜査の対象として捉えたということを。

なんだかんだでホッと胸を撫で下ろした僕は一人目の来訪者がPayPayの営業マンである事を説明し、オジサンが捜査している詐欺グループのメンバーではないであろうことを示そうと無駄に力んでしまいました。

確かに彼は怪しかった。
僕も営業をする身。
意を決して戸を叩く勇気には賛美します。
例えライバルであってもそういったメンタルの面では全ての営業マンに敬意を表します。
しかし彼は違った。
ただモジモジしていただけで、僕が痺れを切らして声をかけたくらいです。
他人がどういう営業をするのか日頃から気になる僕はもう少し待つべきだったのでしょう。
ゆとりが足りなかった。

通り一遍の説明を受けた後、引き上げる彼を見送りました。

オジサンは満足はしていませんでしたが、気が緩んだのか帰る時には強面の相貌も多少は崩れていたように見えました。
捜査にもゆとりが必要ですよ。

二人目のオジサンの対応の後、自席に戻って書類の整理を再開しながら一部始終を遠目に見ていた代表に報告しました。

「怪しい男でしたよ、と言えば面白かったのに」

そんな冗談を言うゆとりはありませんでした(泣)

K.K

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